シーズンのフィナーレを飾るのは、羽生結弦のGala(エキシビション)でなければならない。というのは筆者の偏った思い込みに過ぎない。実際、羽生は2シーズン続けて最後の大会を怪我で欠場したため、2016-17 シーズン以来、それは実現していない。しかし、今シーズンを終えた今もなお余韻が残っているのは世界選手権における羽生結弦の演技である。また、今シーズン最後の大会となった国別対抗戦において、今季の金メダリスト ネイサン・チェンが記録更新より楽しむスケーティングに徹したこともあり、男子シングルのクライマックスはやはり世界選手権の羽生VSチェンの対決だったと帰結し、筆者も含め世界選手権の客席で応援したファンにとって甲斐のある結果となった。銀メダルの羽生結弦は世界選手権Galaの最終滑走者にはなれなかったが、日本のTV番組では彼の「春よ、来い」で幕を閉じるように編集されていた。本サイトにおける今シーズンのフィギュアスケート レビューも、世界選手権の羽生結弦のGala「春よ、来い」で幕を閉じたいと思う。
Embed from Getty Imagesあたたかい拍手に迎えられて、リンクに滑り出た羽生結の衣装はペールピンク。しかも、光沢のあるシースルーで、ラッフルやスパンコールがふんだんにあしらわれた、桜の妖精か天女の羽衣のようなフェミニンなデザインのものだった。ピンクは、男子スポーツ選手が纏うカラーとしては、最も危険でアグレッシブな色だったが、今彼が世界選手権のGalaでこれを纏うことにまったく違感がない。彼の少年らしさの残る華奢な肢体や柔軟性を生かした嫋やかな動きを引き立てるのにこれほど相応しい衣装はない。深く開いた胸元に色気を感じて喜ぶファンも多いことだろうが、それ以上に官能的なのはエレガントなドレープがあしらわれた袖から透けて見える腕である。この袖に覆われた腕はスワンの翼のようにも見える。
Embed from Getty Images桜の花びらが舞い散る夜を思わせる幻想的なライティングの中、舞う羽生の表情は競技のときとは異なり、穏やかで幸福そうだが、その微笑には儚げな影があり、どこか切なさそうでもある。華やかなピンクを纏いながらも、派手な動きはなく、むしろ抑制された気品に溢れている。選んだジャンプは3Loとディレイドアクセル。昨シーズンのGala「Notte Stellata」のトリプルジャンプは華やかな3Aだったが、「春よ、来い」の前半には、蕾のようにスレンダーにまとまり、余裕をもって自然に流れるループジャンプの方が相応しい。天を仰ぐ目線と手、ターンやスピン、ジャンプのときも、全身から悲しみや苦悩、そしてそれを包み込むような優しさが伝わってくる。
Embed from Getty Imagesピアノ曲に編曲された「春よ、来い」に松任谷由美の歌声はない。羽生結弦は、この歌を或いは彼女の歌声よりも美しく歌い上げた。彼によって再解釈されより美しく表現されることで、松任谷由美の音楽もまた普遍性を得る。演技構成点の項目の一つであるInterpretationとはこういうことなのだと思い知らされた。この曲は、東日本大震災復興支援キャンペーンのテーマソングでもあり、当時羽生がこの曲で滑ったプログラムがあったような気がしていたが、「花になれ」と混同しての記憶違いかも知れない。
「春よ、来い」は、ただひらひらと美しいだけではない、羽生自身の鎮魂の想いや祈りが込められた、深い愛に満ちたプログラムなのだろう。ヘルシンキ大会でも披露されたが、今回、日本開催の世界選手権のGalaで世界に向けて想いを伝えることに深い意味がある。後半のクライマックスで天に向かって投げ放たれたきらめく氷のかけらは、桜の花びらのようであるが、羽生結弦の表現の場である銀盤から、様々な愛や希望が込められ、世界に向けて捧げられていた。それを確かに受け取ったという感動を多くの人が抱いたことだろう。
今季、羽生結弦は絶対王者の座を譲り、来季に向けての課題を残す結果となったが、インスピレーションを与えてくれた偉大な先輩にオマージュを捧げ、自らの源点に回帰するというビジョンは十分に果たせたのではないだろうか? SP、FSにおいて全力を尽くし、そしてGalaでは、言葉よりも印象的に、言葉にならない深い愛を表現し、圧倒的な美の力で世界に向けて語りかけた。これができるフィギュアスケーターは、時代も、国籍も、ジェンダーも、スポーツも芸術も、全てを超越する可能性を秘めた美の境地へと昇りつめた羽生結弦をおいて他にない。 (つづく)
