羽生結弦 Gala「春よ来い」2

 羽生結弦のGala「春よ、来い」 は、ほぼ一貫して、バレリーナのように優雅な舞で構成されている。確かなスケーティング技術と柔軟性、そして繊細な感性をもつスケーターにのみ可能な演技である。トウを刻むステップがジョニー・ウィアーの「The Swan」を彷彿とさせたが、筆者は彼がこの衣装を纏って登場した瞬間から、桜色のスワンが舞い降りたと感じた。ウィアーからインスピレーションを得たという独特のパンケーキ・スピンがここでも披露されたが、やはりこのスピンはスワン・スピン*1と呼ぶに相応しい。筆者の思い込みが強すぎるのかも知れないが、後半のクライマックスのハイドロブレーディングには桜の花筏の湖に翼を広げて着水するスワンが、イナバウアーには飛翔するスワンが見えた。悲哀や苦悩を乗り越えて、希望を抱いて飛翔するスワン。そしてその愛に溢れる力強い翼で世界を包み込むスワンである。

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 シーズン2016-17のレビューで、筆者は「星降る夜=Notte Stellata (The Swan)」のスワンに想いを馳せ、昨シーズンのオリンピックSPに彼の内なるスワンを見出し感動を覚えた。そして、今シーズン、スワンのテーマは明示されていないのにも関わらず、前のレビューで触れたように、SPFS、そしてGalaでも、スワンを感じた。「Notte Stellata」のスワンが、ブルースワン、ブラックスワン、ピンクスワンの全く異なる三様の美を極めたスワンに進化して銀盤に舞い戻って来たかのようだった。幻視に過ぎないのかも知れないが、このスワンこそ、羽生結弦の芸術性、ロマンティシズムの化身なのだろう。

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 「春よ、来い」の コレオグラファーは、昨シーズンまでのGala「Notte Stellata (The Swan)」に引き続き、デヴィッド・ウィルソン。バンクーバー五輪においてウィアーの両競技プログラムの振付を手がけたのもウィルソンであり、クロスジェンダー・パフォーマーであるウィアーが自己表現を追求できる作品に仕上げられていた。「春よ、来い」 も、羽生結弦が秘め持つもつジェンダーを超えた優しさや繊細な美しさを十分に発揮できるプログラムとなっている。今回の世界選手権において女子スケーターも含め、最も優美な演技が披露された。シャープでスピード感あるアクションが強調されたFS「Origin」との対比が際立ち、このような多面性も羽生結弦の魅力である。

 現代において、教養ある人が 「男性らしからぬ」などと批判することはあり得ず、筆者の耳には賞賛の声しか聞こえてこない。しかし、フィギュアスケ―ト男子シングルでは女性的な演技がタブーとされていた時代も長く、心ない発言もネットで拡散しやすい状況において、Galaとは言え競技会でこのように女子選手よりも優美なプログラムを真剣に(コメディではなく)演じるのは、今なお勇気のいることなのかも知れない。直前練習*2や競技プログラムで男性的な力強さも最大限に示し、日頃からアスリートとして品行方正な言動に徹している羽生結弦だから(そのための努力でないことは勿論だが)許されることなのかも知れない。

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 筆者は「フィギュアスケート男子シングルにみる ジェンダー・クロッシング ―21 世紀初頭のオリンピックにおけるパフォーマンスから― 」という論文を発表し、ジェンダーを超えた美しさの際立つ演技の存在意義を提唱してきたが、何故だかその文脈で羽生結弦を語ることに抵抗があった。今季、その立役者として論じたプルシェンコとウィアーに捧げるプログラムを掲げ、Galaで競技会では恐らくウィアー以来のクロスジェンダー・パフォーマンスを披露してくれた羽生結弦に感謝している。「春よ、来い」 の受容において、この議論は帰着させてもよいのかも知れないが、今後の展開については改めて模索していくことにする。

 ネイサン・チェンが国別対抗戦では記録更新に挑まなかったこともあるが、現時点でSPの最高得点保持者は羽生結弦であり、FS、総合点の最高得点更新は束の間の栄誉であったが、新ルール初の200点越え、300点越えを達成した選手として羽生結弦の名は記録に残る。2つのオリンピック金メダルを獲得してもなお、自ら極めた高みを超える挑戦は続く。来シーズン、彼自身のロマンティシズムの化身であるスワンがどのような進化を見せて舞い降りるだろうか? もちろん、まったく別の姿でも構わない。アスリートとアーティストの両極致を極める羽生結弦が新たな美の境地で魅了してくれることを心待ちにしている。(了)

*1 このスピンは、世界選手権女子シングル第1グループの第1滑走者、陳虹伊のSP、まさに「Notte Stellata (The Swan)」にも取り入れられており、スワンの系譜が確かに継承されているのが印象的だった。

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