共感できない語り手 ―佐藤亜紀著 『ミノタウロス』

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小説を読み耽りたいという願望を抱えながら、選択基準が厳しすぎて、読みたい作品がなくなってしまった。無駄にわかりやすく書かれた文章には興味が湧かないし、下手な翻訳も許しがたい。不勉強なせいもあるが、選り好みが激しすぎて読書から遠ざかりつつあった。しかしやはり、デジタル画面よりも紙上の活字で小説を読みたいとを欲するので、佐藤亜紀の本を手に取ることとなった。今、私の脳は、日本語ではこの作家の作品しか読みたくないらしい。

と、いうわけで、第一次世界大戦前後、ロシア革命の最中という激動期のウクライナが舞台の『ミノタウロス』を読破。西洋史に絡む題材が多いが、手法もモチーフもヴァラエティに飛んでいるのが彼女の作品の魅力でもあるが、この小説は、私がこれまで読んできた彼女の作品―『バルタザールの遍歴』、『雲雀』、『天使』、『醜聞の作法』―とは趣が異なり、これらの作品から入った読者が期待する優雅さが量的に不足している。ハードボイルドな戦闘シーンの緊迫感もまた彼女の作品の特徴であるが、『ミノタウロス』にはその要素が過剰であり、身の毛もよだつような残虐なシーンが読み慣れ飽きるほどに頻出する。

しかし、それはさておき、この作品は恐らく作家が意欲的に挑戦したと思われる独創的な手法で描かれている。と、私の脳は解釈した。語り手は、成り上がり地主の父とインテリ階級出身の母の次男として誕生したヴァシリ・ペトローヴィッチ(ヴァーシャ)。生前の父の話から、一貫して彼の一人称の語りで物語が進行する。ヴァーシャが「信用できる語り手」か「信用できない語り手」かについても議論が可能だろうが、彼はそれ以前に「共感できない語り手」である。

一人称の場合、物語は語り手に共感するように創られていると私の脳は思い込んでおり、この生まれなからにアナーキーな少年に共感するよう努力しながら読み進めてきた。主人公と言えど、行動の伴う滅裂さに吐き気を催したくなる場面も多かったが、自信たっぷりに語られる彼の自論には賛同できる部分もあり、何とか中盤まで読み進めることができた。

実際、一人称話者への共感なく長編小説を読むのは困難である。しかし、『ミノタウロス』において、私の脳が最後まで共感を持続することは不可能であった。それは恐らくこの小説の実験的な手法であり、どこかで共感を放棄するように書かれている。一人称話者ヴァーシャに敬意を払って読み始めた読者が共感を放棄する箇所は様々だろうが、私の脳が主人公を見限ったのは、機銃装備の馬車タチェンカを手に入れ、理性も抑制もない残虐な自由を獲得したことに無上の喜びを覚え、「単純な世界は美しい」と感動する場面である。殺戮を正当化し「美しい」と感動する彼は、ここで完全に獣等人身のミノタウロスとなる。もはやヴァーシャに共感する必要はないのだ。そして、共感しなくてもよいのだと見限った瞬間、これまでの読書では得られなかった快いカタルシスさえ覚えた。

共感することをやめた後、どう読むかも読者次第だろうが、その瞬間に嫌気がさして読むこと自体を止めてしまうのなら、「共感できない語り手による一人称」という手法は失敗ということになる。作品自体に魅力があるか、或いは仕掛けが奏功するか、読者を引き込み読破させる要素がなければ小説としては失敗である。私の脳はここで「主人公の交替」が行われたと解釈した。この場面には、絶妙なタイミングで、ヴァーシャの異様さを見破り呆れている、美少年ウルリヒが居合わせている。読者は呆れるウルリヒに共感し、この共感は持続する。そしてこれ以後、ヴァーシャの視点で語られるウルリヒに共感し、彼が主人公の物語が展開するのである。

共感しなくてもよい語り手による一人称小説自体は目新しいものではなく、ジィドの『背徳者』やカミュの『異邦人』といった古典的なフランス近代小説にもみられ、『ミノタウロス』というこれらと同種の題名は、語り手への共感が不要であることを最初から示唆しているのかも知れない(なお、私の脳はそれでも、最後までミシェルにもムルソーにも共感したが、彼らよりも強烈なヴァーシャへの共感は持続しなかった)。しかし、「共感できない語り手」と「主人公の交替」の掛け合わせという手法は新しい挑戦的な試みであると言えるだろう。そして、私の脳にはこの仕掛けは奏功した。

ヴァーシャが語り描く敗残のドイツ兵ウルリヒは、自らの一人称によってのみ描写されるヴァーシャよりも華のあるキャラクターである。戦争を実体験した彼のその精神は登場したときからヴァーシャ以上に壊れており、既に「ミノタウロス」である。しかし、裕福な家庭で育った潔癖症のお坊ちゃまで、ワグナーーやドニゼッティを暗譜で弾けるピアノの名手でもある。そして、飛行機マニアで操縦もでき、未来の飛行機を構想できる才能の持ち主。バルタザールやメルヒオール、ジェルジュといった佐藤亜紀小説の主人公に通じるものがある。ここから俄然面白くなり、ウルリヒ主役の『ミノタウロス』、彼とヴァーシャと突然加わった農民フェディコの3不良少年が機銃装備馬車タチェンカで荒野を駆け廻る破天荒な破滅劇が展開する。

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まずは書きたいことだけ書いてここまで。ウクライナの人々の服装の記述があまりないので、最近、キエフから個人輸入したウクライナ農民の民族衣装 ヴィシヴァンカ(男性用)の画像を掲載。ミノロフスカでは、ヴァーシャやサヴァ、狂暴なグラバクもこのような素敵な刺繍の入ったヴィシヴァンカを着ていたのかも知れない。

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