平昌オリンピック開幕 ―フィギュアスケート男子シングルにおけるクロスジェンダー・パフォーマンスの行方は?

2018年冬季オリンピックが開幕した。応援専門分野である男子シングルで特に注目している選手は、日本の3選手の他、アダム・リッポン(アメリカ)とミーシャ・ジー(ウズベキスタン)。いわゆる4回転ジャンパーではない彼らを選ぶのは何故? という疑問を抱かれることだろうが、それは私が「フィギュアスケート男子シングルにみるジェンダー・クロッシング」の論文筆者だからに他ならない。トリノ、バンクーバーでジョニー・ウィアーらが開いたクロスジェンダー・パフォーマンスの系譜にあるジェンダーを超えた優美と官能性に溢れる演技を、今は彼らに観ることができるだろう。もっとも、彼らはウィアーの後継と言うより、彼ら自身のものとしてこの種のパフォーマンスを追究しており、自らのスタイルを貫いて勝ち抜いてオリンピック代表の座を勝ち取ったのである。

トリノ、バンクーバーでは、ウィアーの演技やコスチュームが物議を醸し出した。また、ソチでは開催国ロシアで開幕前に「同性愛宣伝禁止法」が施行されたこともあり、フィギュアスケートにおけるクロスジェンダー的表現やスケーターの性嗜好についてメディアが頻繁に取り上げていた。しかし、今回はそうした騒然さはなく、フィギュアスケートでも美の形態として確立し認知されてきていると考えてよいだろう。

リッポンやジーのパフォーマンスにはもはや、ウィアーのオリンピック・プログラムほど衝撃的ではないし、あの魂を震撼させるような悲劇的な美しさは、あの時代のウィアーだけのものであった。それは、時代の反逆者 ”Fallen Angel“の痛みを超えて、創始者の産みの苦しみを味わったものだけに与えられる栄光である。

かつてのウィアーが受けたような誹謗中傷の矛先がクロスジェンダー・パフォーマーたちに向けられることが少なくなった今、リッポンやジーには、自分なりの美の世界をオリンピックのリンクで存分に表現して欲しいと思う。特に、リッポンはノーミスの精度の高い演技を極めるか、あるいは4回転ルッツを成功させることができれば、銅メダルも夢ではない。クロスジェンダー・パフォーマンスに秘められた可能性と強さをオリンピックのリンクで印象づけてて欲しいと思う。

そして、4回転ジャンプで金メダルを目指す選手たちにとっても、クロスジェンダー・パフォーマンスは重要である。ジャンプが進化し尽くした先に、差を付けるのは、技と力の対極にあるかのような優雅さや柔軟性、そして抒情性、精神性と言った要素だろう。演技構成点で高得点を獲得する選手たちは既にそれを知っている。その意味でも、羽生結弦と宇野昌磨に期待している。強さを超えた美しさを表現する能力が彼らにはあるし、ジェンダーを超えた至高の美の力を既に彼らは備えている。

フィギュアスケート男子シングルにみるジェンダー・クロッシング ―21世紀初頭のオリンピックにおけるパフォーマンスから― [日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.16, 113-124]

Adam Rippon’s creative Flamingo opened the new era of figure skating cross-gender performance

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1件のコメント

  1. […] 彼がFSプログラムに選んだ音楽「フラミンゴの飛来」は、動物自然環境ドキュメンタリー映画『The Crimson Wing: Mystery of the Flamingos』のサウンドトラック曲であるが、彼のフラミンゴはワイルドながらナチュラルとは言えない。ファンタジックでシュールな、架空の鳥のようである。 前の記事でも触れた通り、筆者の研究テーマの一つは、ジェンダーを超越した美の表現、クロスジェンダーパフォーマンスである。この研究テーマで論じた修士論文と小論文において、フィギュアスケートにおけるクロスジェンダーパフォーマンスの象徴として取り上げたのは、ウルマノフ、プルシェンコ、そしてジョニー・ウィアーらの歴史的プログラムのモチーフとなったスワン(白鳥)であった。 […]

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